自己嫌悪の正体とは
失敗をしてしまったときや、言い過ぎてしまったときなど、後悔した瞬間にわき上がる感情です。
「自分が嫌になる」という事から分かるように、この裏側には「嫌にならない自分」のイメージがあります。
つまり「失敗してしまった自分」ではなく「失敗しなかったであろう自分のイメージ」をどこかに自分で持っており、現実がそれとは異なった時・場合に自己嫌悪が発生するわけです。
「理想の自分と現在の自分とのギャップ」これこそが、自己嫌悪の大きさであるわけですが、完璧主義の人間に自己嫌悪に陥る人が多いのも頷けます。
自己嫌悪しやすい人
自己受容の低い人、万能感を根強くもっている人、ナルシスト、完璧主義者等が多いとされます。
特徴として、自分の全人格を統合できない、条件付きの肯定感情をもつ人や理想的で完璧な自己イメージ以外は価値がないと考える人などです。
依存と自己嫌悪の密接な関係
依存は人格の問題なので、人間関係で最も明白にその傾向を見ることができます。
何かの依存症を持つ人は、かなりの確率で人間関係の依存があります。
人間関係に依存がある場合、他者の意識が自分の存在証明になります。
他者に映し出される自己のイメージが過剰に気になり、他者からどう思われるか?、どう見られているか?、受け入れてもらえるか?ということに神経をすり減らし注力します。
このような場合、ありのままの自分をさらけ出すことができなくなってしまい、他人の好感が得られるような振る舞いを演じてしまうのです(八方美人化)。
それと同時に、ありのままの自分を自分自身が受け入れることができなくなり、その結果ことあるごとに自己嫌悪になるという状態になり、やがては現実逃避をするようになります。
ゲーム依存と自己嫌悪、依存の自覚の遅れ
ゲームで時間やお金を失ってしまった時、プレイヤーは自己嫌悪に陥りますが、自己受容が低い方の場合、そのことがさらにゲーム依存に陥る危険性があります。
ゲームで大切な時間を失うような自分を受け入れたくないとき、自己嫌悪によって「ゲームにはまらない自分」を、あたかも人格の中に存在するかのように思い込みます。
その正の人格が「ゲームで大切な時間を失う自分」を嫌悪する構図になるのです。
この結果、あたかも本来の自分は意志が強い、ゲームなどやらないで済むはずなのだと思い込み、ゲームをしていたのが自分ではなく別の自分であるかのような錯覚を持つことになります。
このことが、自分が「もはやどうにもならないゲーム依存者」という現実から遠ざかってしまい、依存の自覚が遅れる事になります。
これはアルコールやギャンブルにおいてもまったく同様の事が言えます。
依存脱却、自己嫌悪をしない人格への成長
自己嫌悪しやすい人というのは「人間は誰でも自己嫌悪するものだ」と思いこんでいるところがあります。
しかし、実際は上記で説明したような人だけが自己嫌悪するわけで、それ以外の人は自己嫌悪する必然性がありません。
つまり、人からどう思われるか?という点から自分の存在を評価しないのです。
都合のよい自分のイメージを持ちませんし、そのような理想的な自分でなければ価値がないとも思いません。
日常においては、自分自身がありのままの姿で人と接することができるので、このような人は、自己嫌悪をすることは滅多にないのです。
人は精神的に成長するに従って、自己嫌悪することは少なくなります。
それは、依存する人格から脱却することでもあるわけです。
自己嫌悪が役に立つのか?
「自己嫌悪が役に立つ」と思っている人が少なからずいる事実があります。
「自己を嫌悪すれば、自分の意志を強化して、次はうまくいく」と思いこんでいるようです。
自己嫌悪が役に立つと思っている人は、今まで「自己嫌悪をする事で、自分のマイナス面を矯正しようとしてきた」と、思っていると推測できます。
その始まりは、おそらく幼少期の「躾(しつけ)」に大きな切っ掛けがあると思います。
子供がなんらかのミスをしたときに、その親がどのような態度で躾けをしたかによって、ある程度までその子供が成長したときの自己評価の態度を決めるようです。
子供は親の支援なくしては生きてはいけませんので、どうしたら親の愛情を受けられるかを考えます。
しかし、未熟な教育者の場合、単に自己の嫌悪感を子供に押し付け、子供は親の愛を受けるためにそれを吸収します。
その子供は自分がなぜ怒られているのかがわからない、親の顔色ばかりを見て本心を表に出せないで幼少期を過ごし、やがては大人になっても顔色ばかりを伺う八方美人になったり、今度は自分自身が相手に対して嫌悪感をぶつけるような態度をとるようになってしまいます。
同様に暴力や恐怖などの虐待を受けた人間も、自己の内面に対する洞察力を著しく欠く結果となってしまいます。
本来、子供が何らかのミスをしたときには、その行動がどういう意味を持つかだけではなく、自分自身が何故それをしてしまったのかを、子供自身に考えさせ、それによって内面の洞察力を付けさせ、結果として行動を律するように導くのが理想的な教え方でしょう。
しかし、未熟な人間に育てられると、何かのイタズラや間違い、マイナス面に対して子供は常に嫌悪感をぶつけられる事になります。
恐らく、そうした躾けをする親自身が、嫌悪感をぶつけられて育てられたのだと推測できます。
自己内面の洞察能力が低いと、自分が何故それを欲したかが分からない。
どうしてそのような行動に出たのかが自分自身で分からない。
好きな人というよりは、他人が愛するであろう人を好きになる。
などのアウトプットが見られるようになります。
自己嫌悪が役に立つというのは、単なる自分の都合を優先した解釈であり、おそらくそういった方は、同じ過ちを何度も繰り返しているはずです。
問題を自分の中に認めず、外部に無意識に求めているので同じ過ちを何度も繰り返し、万能感から自分を過信して矯正しようとせず、かわいそうな自分を演じます。
しかし、劣等意識からくるものは、時として自己を強化する要素になります。
人が生きている限り、世の中にあるものを相対評価してしまうのは当然でしょう。
学力の差、体格の差、財力、知力、生まれた家庭環境などです。
それらの中に自分が理想と思う何かがあれば、それを手に入れた自分と現在とを比較して自己嫌悪するでしょうが、これは上述した自己嫌悪とは少々異なります。
生活の中で人格形成された自己嫌悪ではなく、後天的な相対評価の中で生まれる劣等コンプレックスは、時にあなたを飛躍的に成長させる場合があるのです。
もっと強くなりたいと思えば練習に励みますし、学習や鍛錬に力を入れるからです。
こんな人が自己嫌悪に陥りやすい
・外見に異様にこだわりがある
・人を容姿、学歴、出身、財力など、外面的な評価で判断しやすい
・努力、仕事、勉強をしている素振りがうまい
・恋人を選ぶとき、他人が見た恋人の評価を気にする
・食べている姿を人に見られるのが好きではない
・驚かせたり、びっくりさせたりして、周囲の反応を得たい
・理想や希望が高く、自分はまんざらではないと感じている
・他人の不幸や失敗談が美酒である
こんな癖や行動を取る方に、自己嫌悪する人が多いようです。