そもそもなぜ何度もパーティーに足を運んでしまうのか?
最近、婚活パーティー、恋活パーティーが盛んです。
しかし、私も何度も参加してみましたが、出会う顔ぶれが似ているのも事実。
パーティー会社がこれほど多く、利益が出ているのは、「結婚できない人と恋愛できない人」の集まりで儲けているからだと思います。
では、パーティーに何度も足を運んでしまう人の真の理由とはなんでしょうか?
それは、実は出会うこと自体に目的が無いからです。
では、何で参加するのでしょうか?、それは、社会的参加を望んでいるのです。
つまり孤独や寂しい感情を紛らすために参加しているといっても過言ではありません。
もちろん、参加者の全員がそのような感情で来場しているとは思いません。
中には本気で出会いを探る人たちも多数おりますが、私が知る限り、特定のパーティーでは、本気で相手を探すというよりは、上記のような理由を持った方が多いのが事実です。
社会的参加を目的にするとは?
孤独感や寂しい感情を癒すために、パーティーに参加するという事実、しかし、その根底にはさらに根深い感情が潜んでいます。
その感情とは、
自分の重要感を異性からの視線や評価で認識しているわけです。
本当に孤独になることや、寂しいと感じることとは、他者から無視されることです。
自分に価値がある、まだ異性から声をかけられるという事実は、仮に友達がいなくても、いざとなれば恋人を作れることができるという安心感につながります。
このことを判断し「自分は重要な人物でありたい=自信の無さを穴埋めしたい」ためにパーティーへ参加するわけです。
いつまで参加し続けるのか?
この中毒のような症状をいつまで続けるのか?、それは自分自身の価値観が変貌したときにあります。
人からどのように見られたとしても、自分自身はぶれずに、ありのままの姿で社会に、世の中に貢献できるという確信を得たとき、人は、他者からの評価を気にしなくなるわけです。
日本がかつてのように村社会であったときには、結婚は好きか嫌いかというよりは、縁でするものでした。
そのため、比較的若い世代で近所の方と結婚し、子供ができます。子供ができると人生とは自分だけのものではないと心底気づく瞬間が訪れます。
このことによって、人間的な成長につながってゆくサイクルが生まれるわけですが、結婚自体が社会的体裁や自己評価の対象になってしまい、他者からの評価を気にするあまり婚期がさらに遅れるという悪い循環に現代では入っています。
重要なことは、自ら成長し、社会に貢献したいという意識は、どのようにして生まれるか?という考え方にアクセスすることではないかなと思います。
「自分には価値があるはずだ」という身勝手な自己評価や相対評価を排除し、私利私欲を排除してゆきます。
異性からモテたい、恋愛がしたい。このことが決して悪いこととは思いませんが、自分自身がなぜこれほどまでに他者からの評価を気にするのか?という感情を、一度客観的に見つめなおし、問題の本質に向き合うよい機会だと捉えてみるのもよいと思います。
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