嘘をついてしまう人の特徴
よく「嘘も方便」という言い方をしますが、多くの方々は嘘はつかないほうが良い、正直に生きるほうがすがすがしく、自分に対して後ろめたいことが無く、心地よく生きられると思っておられるでしょう。しかし、嘘の中には相手を思いやる気持ちや、貢献したいがゆえに、自己を大きく見せたいという嘘も時にはあります。
こうした嘘は、必ずしも相手を騙して得をしするという動機から発せられたものではないようにも思うのです。
私がこれまでに出会った方の中で、嘘を比較的付く人と、主義として嘘をつかない人というのに別れるように思います。
一度嘘をつくと、その嘘を覚えておく必要があり、その嘘を正当化するために、新たな嘘をつく、そうして自分が苦しくなって人との接触やコミュニケーションを拒絶するようになるというケースもあるでしょう。
しかし、思いやりから発せられる嘘は気づかいと配慮がそこにありますし、自分を大きく見せて相手に頼られたい、認められたいと思う嘘は、そこに愛情があるようにも思います。
しかし、いづれにせよ最も大切なことは、その嘘をついたときに、自分自身を自分が嫌いにならないか?という事で判断するべきでしょう。
いくら相手への配慮であっても、本当は正直に伝えたほうが良いと思うことを歪曲させ、嘘をついてしまったとき、そこには罪悪感と後悔の念が残ります。
相手のためを思う嘘なのか、嫌われたくないという自己保身の嘘か、この違いをよくよく理解し、嘘と配慮の違いを見極めるべきでしょう。
嘘をついてしまう人の特徴
嘘をついてしまう人の多くは、自己評価が低いのかもしれません。自分で自分を認められない分、理想の自分を前面に打ち出し、それをあたかも本来の自分の姿であるかのようにふるまうために、見栄をはったり、偽りの自己を演じようとします。
自分で挙げていない成果の誇張、所有していないものの自慢、年齢詐称や学歴詐称などは、すべて理想の自分と現実の自分との乖離が引き起こすことのように思えます。
しかし、仮にそこで自己を偽ったとしても、それが真実ではないということを理解しているのは自分自身であり、最も身近にいて信頼してもらう必要のある”人”である自分自身が、あなた自身を認められずにいるでしょう。
第三者に対して本来の自分ではない姿を伝えてしまったら、その場では心地よい関係を築けるかもしれませんが、長期的には関係性は破綻してしまうという恐怖が襲ってきます。
自分の付いた嘘が露見したらどうなるのか?、整合性をどう保つかに心をすり減らし、嘘を取り繕うために嘘を繰り返し、やがて何が本当で何が嘘なのかもわからなくなって混乱し始めます。
そうして、人と会うのが怖くなり孤立や孤独的な性格に落ちてゆきます。
嘘はつき方がとても重要です、つまり自己評価を高めるためについたものは、めぐりめぐって必ず自己評価を下げる結果になることを忘れてはなりません。
脳を錯覚させる嘘
他人に対してつく嘘とは別に、自分自身に暗示をかけるような嘘もあります。自分はできる、自分ならやれるという自信を獲得するために、良い意味で脳をだますのです。
物事は一度経験するとそれが知識と自信となり、二度目からは比較的楽になります。
あれだけ迷いもがいていた問題がすんなりと解決し、苦労せずにすむのです。
スポーツ選手などはよくこの手法を活用するでしょう。
良い意味での暗示(ウソ)は、潜在意識に働きかけ、実力以上の力を発揮します。
これはプラシーボ効果としても表現されており、以下のような実験も試みられました。
あるグループにはアルコール入りだという炭酸飲料を飲ませ、一方には通常の炭酸飲料だといって飲んでもらうのです。
前者はアルコールが入っていると誤認しているため、脳がさっかくし本当に酔い始める人がいるのですが、実はこの飲料にはアルコールが入っていません。
脳は自己暗示に極めて従順で、素直だという実験です。
なぜ嘘をついてはいけないと教育されるのか
嘘にも種類があるように、よいウソや好ましくない嘘もあることがお分かりいただけたかと思います。それでも尚、嘘はよくないという教育が推奨されています。
それはなぜでしょうか。
実は嘘というのは癖になります。
そして何より本来の姿ではない偽りの自己を演じさせる要因になり、このことが自我の統一性を翻弄させるからです。
人があなたの嘘をどのようにとらえるかは、その人次第です。
それが真実か否かは知る由もありません。
しかし、嘘をついた自分は確実に事実ではないことを知っています。
とりわけ正義感の強い人や愛情に欠乏している人は、信頼を何よりも大切にするでしょう。
しかし、嘘をついてしまうと、まず何より自分自身が自分を信用できなくなります、そして他人も自分に嘘をついているのではないか?と疑うようになり、他者をも信じられなくなってしまいます。
このことが嘘をついた時の最大のデメリットとも言えます。
人を信じられなくなり、自分をも信じられなくなる。
やがて疑心暗鬼が支配し、性格が暗くなり、明るさや笑顔が消えてゆきます。