労働環境と復職に関して

お世話になります。
パワハラを受けており休職してるものです。現在は人事部にいます。
体調は回復し、主治医からは復職可能の診断も出たのですが、以下にあるパワハラのトラウマや、休職中に人事部長直々にパワハラを行っていることがあり、このまま転職しようか、と迷っています。
客観的に私の会社は異常かどうか教えていただきたく、相談しました。極力逃げの転職はしたくないのですが、もはやこの企業体質自体が腐っているのではと思い、そこの判断が難しいです。

以下は私が以前に在籍していた技術部の部長代行から受けたパワハラです。
 ・有給中も仕事しろと指示がくる
・部内でクラスター発生しても、「若手だから感染しても問題ない」と言われ出社強制
・土日/夜中のメール確認強制
・サービス残業を強いるために、勤怠の書き換え命令
・「これを残業とするのか?」とサービス残業の示唆、
・「仕事終わるまで帰るな」と部長代行が発言。それとは別の上司である、直属の指導社員から帰宅していいと言われて帰ると、「冗長命令違反」と言われる
・エクセル専門講師が1週間以上かかる仕事をその日中に行えと退勤直前に言われる
・毎日作業時間を記録させられる
・40代ベテラン社員が3時間かかる仕事を1時間でやれと指示される
・出張報告はその日中(深夜も書くことを要求される)
・翻訳アプリが使えない中国語和訳業務を指示(中国語駐在経験者もできない業務)
・4時間の叱責
・「女がしたミスもお前のミス。お前は本当に男か」発言
・自分がコロナ感染したことを上司が人事部に隠しており、(在宅勤務になってしまうためと推測)、上司が報告しないため私に人事部から連絡がきた。コロナ感染を人事部に報告したところ、「メンツが潰れた」と叱責される
・有給を年末年始に取得しようとしたところ、3回にわたって個室に呼び出され取得辞退を強要 (仕事はその時期全くないにも関わらず)
・交通費請求ミス(10円)を不正請求だと言われる
・39度発熱し休暇をとった際「挽回のチャンスとして業務をやれば?」との発言
・「ご丁寧にありがとうございました」の文言は人をバカにしている、日本語教室へ行けとの叱責

上記を人事部に訴えましたが経営陣は問題にせず、むしろ上司を部長代行から部長に昇格させています。
また、加害者である部長代行からの報復査定で賞与4割カットされました。なお、査定面談はなく評価の根拠も全く説明されていません。
私は人事部に異動しましたが、下記にあるように人事部でもパワハラが横行しております。
他人の事例としては、
・50代管理職のデスクを没収し、個室に閉じこめて段ボールで作業させる(実質の追い出し部屋)
→退職に追い込まれたが、それに伴う有休消化は人事部長直々拒否、40日の有給が無駄に
・派遣社員が入社2週間で「あなたには仕事がない」といわれ退職に追い込まれる、派遣切り横行(3ヶ月で10人?)
・派遣社員が21時まで残業を行う一方で正社員が17:30定時に帰宅する
・人事部長代行が「事務職女性社員は高い給料をもらいすぎている。男性の総合職社員は彼女らを監視するのが仕事」と発言する。

重い相談となり恐縮ですがよろしくお願い致します。

「 労働環境と復職に関して」への2件のフィードバック

  1. ご自分を責めてしまう気持ち、劣等感や自己嫌悪の感情は多くの方が持っております。
    私見ですが、こうした気持ちが微塵もない人は、ある意味傲慢でわがままで、なりふり構わず生きている人なのではないかと感じます。

    生命は利他的態度を基盤とし社会を形成します。
    自分のことだけを考えていては、社会性は構築できません。

    その最たる例は、蜂の受粉がもたらす食物連鎖の構造です。

    蜂に「君の役割は?」と尋ねれば、もちろん「花粉を集めて巣に持ち帰ること」と答えるでしょう、ですが、彼らも気づかないうちにその行動は受粉という食物連鎖に欠かせない基底の部分を支え、そのおかげで植物が繁栄し、その植物を獲得して生きる生命へと引き継がれます。

    ただ生きて生活をしているだけで、実は誰かの役に立っていたりするもの、それが社会で、知らぬ間にあなたの行動は誰かの利益になっていると私は思います。

    自己嫌悪や劣等感がなぜ起きるかといえば、それは過去の記憶と現在のあなたの自己評価を比較しているからにほかなりません。

    生まれたての赤ちゃんに劣等感はないでしょう、それは過去の記憶がまだ無いからです。
    しかし、様々な経験をし、自己と他者を比較したところから、優劣が生まれます。

    自己嫌悪は社会の中で役に立ちたいと思う貢献意欲が隠れていると私は思います。
    もしそうした意識がなければ、我が物顔で過ごすはずだからです。

    おそらくあなたは、自己を過剰に低く見積もってしまう現在を、もっと貢献したいのにできていない自分との差分が劣等意識を生み出しているのでしょう。

    また、人の目を気にしてしまうというのは他者評価を自己の評価の要素としていると思うのですが、それこそ、他者のために何かをしたいと思っている証でもあります。

    ですが、上記にも書いたように、能力や体力、財力に関係なく、その人が今できることを行うだけで、誰かの利益になる、それが社会です。

    ただ、ここでポイントなのは「だとしたら今できることだけをやっていよう」と割り切り、努力をせず、学習もせず成長しない事だけは避けるべきと言えます。

    成長しない=静止している状態と言えます。
    水は流れ、動いている間は素晴らしい物質となりますが、動きが止まった水は瞬く間に腐敗します。
    これは宇宙のルールです。

    使われなくなった建物もそうでしょう。
    古いものも人が手入れをすると、どこか生命感があり、古いのに生き生きとしていますが、だれも手をかけず、見つめることもしなければ、あっという間に廃墟と化します。

    人も同じなのです。

    悩み、もがくことで前に進んでいるのなら、私はそれを全くマイナス面とは思いません。
    ただ、止まることは避けたほうがよいと思います。

    あなたもそうしたことを心の奥底で理解しているので、何かをしなくてはと焦るのではないでしょうか。

    人生の中で、悩み落ち込み、逃げ出したくなる場面はあります。
    ですが、本当に逃げて別の環境に行ったほうがよい場合も時にはあります。
    これは、ご自身の直感で決めるべきです。

    いづれにしても、行動し動くという態度があなたに変化をもたらし、社会への貢献となりますので、逃げるという言葉を否定的にとらえるのではなく、変化ととらえ、様々な選択肢を自然体で選んでみてください。

  2. 返信ありがとうございます。

    おっしゃる通り、社会に貢献できていない自分は存在していて良いのだろうか、という思いが強くありましたが、
    今生きている、生かされているだけで意味のあること、何かの役にはたっているかもしれないと思え、少し心が軽くなりました。

    同時に、今まで『人の求めるものに合わせてなんとなく』生きてきてしまった気がしていますが、挫折を通して自ら、リスクを承知で変化していかなければならないタイミングが来ているのだと思います。
    それがとても怖くて、先延ばしにしてしまっているのですが、向き合わないといけないことも分かっています。
    ご相談したことで、やはり自分には変化や行動が必要なこと、それは逃げるとイコールではないことと思いを新たにできました。

    見ず知らずの私に、無償で相談に乗ってくださり、本当にありがとうございました。

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