私は、いつも迷って答えを出せないまま、とにかくいやだとやり続けると病気になったり、皮膚のトラブルが起きます。そこでやっと、この道は違うことに気づきます。

本心を無視し続けて、世間体やお金を気にして生きてきたから、本心の探し方、選択の仕方がわかりません。
失う事が怖いため、それを避ける選択をしてきました。

やってくる事は全て必然なはず…。
やる意義と価値を見つければ、来たものはすべてやることになるのだけれど…。
最近違和感を感じます。

思考は過去からのパターンだと思うので、本当の成長の為の判断基準にならないとも思いますし。
直感も思考が覆ってしまうときが多々あります。

自分がどんな世界に生きていたいか、を明確にして行動していけばよいのでしょうか?
場所も人も関係ないのでしょうか?

管理人さんはあえて厳しい方を選ぶとおっしゃっていましたが、なんだかしっくりしません。
私は厳しい方を選んできましたが、病気になってその道を諦め、その空いた時間に新しい出逢いや仕事があったからです。そして、それも最善だったと確信ができないです。
それでも私は答えを知っているのでしょうか?

本心の見つけ方、選択の仕方など、何かアドバイスなどありましたら、教えて頂ければと思います。

まとまりのない文章で申し訳ありません。
よろしくお願い致します。

1件のフィードバック

  1. 管理人です。
    ご相談拝見しました。

    到来するものは、すべて必然であるというのは、スピリチュアル的には向こうからやってくる、まるでそれは神様が与えてくれたかのような錯覚をしがちですが、脳の構造的にはスコトーマ(脳幹網様体賦活系)という身体機能が、周囲にあるものから自分の自己成長や内面にある問題解決に必要なものを意識して発見していると言い換えたほうがよいでしょう。

    このブログでも何度か解説していますが、人は意識しだすとその周辺にあるものが見えだします。
    例えば夜空を眺め、1番星が見えると、次々に2番星3番星と見え始め、空全体に多くの星が見えるようになります。

    重要な会議をしているとき、目の前の人物に集中はしていますが、受付の方が運んでくれたコーヒーカップのデザインは覚えていませんし、壁にあったカーテンの色もおそらくは覚えていないでしょう。
    しかし、確かにそれらは目で見て脳に信号も送っています。

    脳は膨大なエネルギーを使いますから、見るもの感じるものすべてを処理していたら、人は餓死してしまうほどエネルギーを使います、そこで脳幹網様体賦活系という機能が、本当に必要なもの以外は見えないようにしているということで、これを逆説的にいうと、見えているものはすべてあなたが選んだ事象という事になるのです。

    私はあえて厳しい道を選ぶとこのサイトの記事でも書きましたが、それははるか遠くにたどり着くべき山やゴールが見えていて、その手段として近道を選ぶか遠回りを選ぶか、いばらの道を選ぶか楽な道を選ぶかという判断で、最終的なゴールが自分として心地よいと感じるものであれば、険しい道といえど、それは苦痛にはならないのです。
    ではなぜ険しい道を選ぶかと言えば、そうしたほうが多くの経験を得られますし、いついかなる時にも訪れる不安定感への対処法を得られるからです。

    肌が荒れる、頭がはげる、吐き気がするというのは、本当にその山、つまりゴールが自分と合っていないのかもしれませんよ。
    私も以前仕事(人間関係)で頭がはげる事がありましたが、見たかと考え方を変え乗り切り、しかしその人とは相性が合わないのだと理解し、今は深いかかわりを持たないようにしています。

    まずは遠くにあるゴール、山、目的地が自分にとって本当に大切なものか、行くべきところかを見定めることが重要ですね。
    そこさえ間違えていなければ、そこに行くまでの道が何十何百とあって、選択に迷いが生じても、ゴールに近づけるという心地よさが、すべてを解決してくれます。

    最後に本心についてですが、これは私には正直わかりません、本心というのは本当の願望、真の願望だと思うのですが、これは人生のステージによってコロコロ変化するはずです。
    子どものころの自分と、大人になってからの自分では、心境にも環境にも変化がありますし、生活面、経済面でも変化します。
    ですが、それさえ目指すべきゴールへの一つの道に過ぎないと思います。

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