涙の理由

管理人さんのメッセージは救われます。

感謝してます。

管理人さんに聞いて頂きたくおもいメールをさせていただきました。

いつも強気にしている私ですが、表面とは裏腹に、本当は、私は未熟で子供で馬鹿な人間です。臆病で、私は子供以下だ。と思います。

最近、私の言葉がきつくなっていることに気が付きました。また、気が短くなり、イライラして、怒りっぽくなりました。どうしたのだろう。

親と喧嘩をしても、他人様から叱られても涙をみせない、泣かない人でした。

しかし、ある事業家の人生論の話をきいていたら、涙がこみあげてきて、涙が溢れてきて、気が付いたら一人部屋で私は大声で泣いておりました。涙も沢山こぼれてしたたりおちて、服が涙で濡れてしまいました。

泣いているときに、一気に感情がこみあげてきて、虚しさに泣いたのだと思います。自分の魂が泣いているのでしょうか。

現状維持ではだめだ、というもう一人の自分がいて、でも、今は現状維持がよいのではないか、という反対する自分もいて、マイナスとゼロとプラスとの間に挟まれております。

私は何を恐れているのだろう、
管理人様、教えてくださいますか。

宜しくお願い申し上げます。

「涙の理由」への1件のフィードバック

  1. 人生とは学びの連続だと私は思います。

    そして何故学ぶ必要があるのかと言われれば、私たち生命が後世に命を託し、成長し発展し、いつか事象の本質へアクセスするためなのではないかと思うのです。
    その本質というものがあるのか否か、それはわかりません。

    学ぶということは、新たな知識や技術を得る事。
    言い換えれば、昨日までの心地よい空間を捨て、恐怖の領域へ踏み出すことを意味します。

    あなたは本当はご自身がどうしたいのか理解しているのです。

    あなたの心は自分がどうふるまえば理想に近づけるのかをちゃんとわかっているのだと思います。

    だからこそ、踏み出さない自分にイライラし、周囲に当たり、自分自身への怒りが込み上げてきたのでしょう。
    しかし、その事業家の言葉に、あなたの魂が触れ、ご自身の深層と表層がつながり、悔恨と懺悔の気持ちで満たされなのではないかと思います。

    何を恐れているのか?
    皆、成長の領域へ踏み出すものは恐れの領域へ入ります。

    その事業家の方も、安定的なコンフォートゾーンを捨てさり、不安定感を受け入れ、自ら恐怖の領域へ踏み出したからこそ、言葉に重みがあるのでしょう。

    恐れて当然なのです。

    むしろ恐怖のない人生など、生きる意味はないと私は思います。

    もしあなたが怖いとか不安だと思うのなら、それはあなたが学びのステージへ向かっている証なのだと理解しましょう。

    そしてあなたの本心の声に、もっと耳を傾けてあげてください。
    そろそろ旅立ちの時なのです。

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