以前は見ず知らずの私に、無償にも関わらずご丁寧にご助言して下さり誠にありがとうございました。
一方、どうすれば管理人様のように対価を欲することなく生きることができるか、ということを現在悩んでおります。
私は現在幼い頃からの夢への転職を目指している一方、割には合わない給与であることに対して正直戸惑いも覚えております。
現在の職は安定かつ大変高給でありますので、その職を手放すのを勿体無いとすら思っております。
また、管理人様もご経験なさったかもしれませんが、一方的に理不尽な言動をする方や、理解に苦しむ方と関わらなければいけないこともあるでしょう。
管理人様はどのような経緯で現在のお考えに至ったのでしょうか?
ご相談拝見しました。
対価を求めない関係性。
そういうと聖人のようで、とても美しく見えたり、まるで悟りを開いた高僧のようにも感じるでしょう
一つシンプルな誤解と言いますか、対価は誰でも求めてしまいます。
ただ、それに執着しないというのが正確ないい方です。
私は以前、とても尊敬している方に、「自分の手元を離れたら、それは相手の所有物。だからたたいて壊しても、その辺に捨てても、それはその人の意思であり自由なのだから、そのことであれこれ感情を動かさないでいい」と言われたことがあります。
そうはいっても・・・というのが本音でしょうが、これは訓練でできるようになります。
例えば、Aさんにあなたが、あなたに必要のないもの、なおかつ無価値と思うものを上げたとします。
それをもらったAさんは、自分もこんなのいらないなと言って捨ててしまったとします。
あなたはそのことにショックを受けますか?
そおらく受けたとしても、そのショックはとても微細だと思います。
しかし、あなたがとても大切にしているものをAさんにプレゼントしたとしましょう。
自分が大切にしているものだから、Aさんにも大切にしてほしい。
この考えは、Aさんの問題ではなく、あなたの問題であることに気づくべきです。
Aさんにとってそれが有益か無益か、価値があるのか無いのかは、あなたにわかるはずがありませんし、それはAさんの問題なのです。
ですので、差し出すものに対してショックを受けるレベルが違うということは、それだけあなたがそのものに執着しているという事になります。
これは解決できます。
あなた自身が器を大きくし、大きなゆとりを手にすることで解決できるでしょう。
また経済的なゆとりでなくても、感情や心が満たされていると、そうした執着は消えてゆきます。
私は幼いころに父を亡くし、20代前半で母を亡くしました。
兄弟はおりませんので、独り身です。
そのため、誰にも頼らず生きてゆこうと決めていましたしたが、いざ独り身の人生がスタートしてみると、実に多くの他者に支えられている事を知りました。
母親が病に伏し、病院で生活しているとき、とても辛くあたる看護師さんやヘルパーさんがいましたが、私はなんて意地の悪い人たちだと思っていました。
しかし、母が亡くなった時、真っ先にその人たちが私のもとへ駆けつけ、「これから一人で生きていくことになるかもしれないけれど、頑張るんだよと大粒の涙を流しながら抱きしめてくれたのを思い出します」
そうなのですが、彼女たちは、母親の自立を促すためにあえてキツイ態度をとっていてくれたのです。
その時に偏見を持たないようにしよう、自分の人生を自分のものだけじゃなくて、人の為にも存分に使おう、誰かの笑顔のために生きようと決めました。
その体験が自分に執着をなくさせた大きな要因であったことは間違いありません。