マイスリーの使用感


自分の最期のシーン 人はよく夢を見ます。
夢は「記憶の整理」とも言われ、過去の出来事、特に昨日の出来事などで重要な事、必要な事を記憶に整理する作業らしいのですが、稀にそれでは説明できないようなシーンを見ることがあります。
正夢、白日夢などもそうですが、私の場合、自分が死ぬシーンというのを見たことがあります。

私は昔、亡き父親と訪ねたある草原が忘れられず、今でもその場所を探しています。
すでに30年も前の話になりますが、未だにその時のシーンや情景ははっきりと覚えていて、11才の時に無くなった父親との数少ない思い出を、その場所に求めています。

そして、夢の中でようやくその場所を探したのです。
山の中腹にある草原は空気が澄んでおり、驚くほど早く動く雲を眺めながら「この場所だ・・・」と。
ようやく見つけたうれしさと、面影しか覚えていない父親と再会できたいような喜びで感慨にふけっているのです。

ついに見つけた草原と、力尽きてその場に倒れている自分を「死ぬってこういう事なんだ」と、客観的な感じで見ているのが自分自身だという事もまったく不思議ではなく、なぜか自然に受け入れられました。

傍らには、おそらく未来の自分が飼うであろう犬が自分の顔を覗き込みながら心配そうな顔をしています。
横になっている自分は「よく主人が倒れていると飼っている犬が付近の人に知らせる」という行為を見たことがあるけれど、お前も心配してくれているのだね。。。と頭で考えたりしています。

そして、過去のわだかまりや気苦労、見栄や体裁、人間が自分で勝手に作り出している感情的な諸問題の全てがクリアになり、これから死ぬという恐怖が完全にかき消され、来るべき時が来たのだという、不思議な感情「楽しみや期待」とも思える感覚を感じたのを思い出します。

その夢を見て以来、自分が生きている意味を深く考えるようになり、夢の中の感情にも近いのですが、社会的な見栄や体裁、感情的な問題が徐々にクリアになると同時に、得体の知れない脱力感に襲われております。
かっこつけることの虚しさ、自分だけが利を得る事の虚しさ、勝ち負けにこだわる虚しさ、そんな脱力感が脳を支配しているのです。

みなさんの中にもそんな不思議な夢を見たことがありませんか?

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